デイトレードブームの火付け役-KUROKO story-
オンライントレードの始まり
サイトスコープが創業されるよりも前、1990年代の株式売買は、まだ対面(窓口取引)やコール(電話取引)が当たり前の時代でした。
1998年に松井証券がインターネット回線でPCから株式売買の注文を受け付けるサービスをいち早く開始し普及していきます。そして、このような取引形態をオンライントレードと呼び始めます。
翌年、1999年10月に金融ビックバン政策の目玉として、株式売買委託手数料が自由化されます。
これによりオンライントレードの手数料を大幅にディスカウント、また、証券会社の業態も変化していきました。
ブログとの出会い
サイトスコープ創業株主の1人であるA氏は、1980年代から株式投資をしていましたが、2000年頃からオンライントレードを行うようになります。
その頃はまだ短期売買ではなく、中長期投資を行っていました。
2003年には、オンライントレードの手軽さと手数料の安さから短期売買をするようになり、2004年には300万円の少ない元手を1億円以上までに増やしていました。
当社代表の久納はA氏と古くからの友人だったこともあり、オンライントレードが普及していく様子や、様々なインターネットサービスが広がっていく時代を一緒に過ごしました。
ブログが普及する前にいち早く個人で投資に関するブログをはじめていたA氏は、その面白さに久納にもブログをすすめると、久納はオンライントレードを普及するブログを書き始めます。
これがのちの「とれまが」となります。
デイトレードの広がり
オンライントレードのブログを書き進めるうちに、株の短期売買のことをアメリカではデイトレード(日計り売買)と呼ぶこと、デイトレードをする人をデイトレーダーと英語で表現することを知った久納は、その頃から「デイトレード」という表現で啓蒙しはじめます。
これにより、久納のブログは「デイトレーダー検索マガジン」という名前に決まりました。
A氏はハンドルネームを「HANABI」とし、久納は編集長としてライブドアブログで日記を更新する日々を過ごしました。
ライブドアはこの頃、ブログやFLASHの流行りに上手くのり、当時総合ポータルサイトやブログサービスで人気だったことで、世にホリエモンを産み出します。
そしてホリエモンのブログが大人気となったことで、日本中でブログブームが巻き起こりました。
2004年には、日経スペシャル「ガイアの夜明け」でデイトレードで1億円以上稼いだということでHANABIの特集が組まれました。
日々何百万も稼ぎ、たった1年ちょっとで1億円以上稼いだデイトレーダーHANABIの姿は、当時宝くじ以外で億という単位に馴染みのなかった日本人に衝撃を与えました。
この特番をきっかけに、一夜にして日本にデイトレードブームが巻き起こったのです。
当然A氏は、「一体どんな方法で稼いんでいるんだ?」「どこの株を買っているんだ?」「次に来る株はどれがいいんだ?」など、日本中のトレーダーから注目を集めることになりました。
このブームをきっかけにデイトレードについて調べようとすると、HANABIのブログや久納のデイトレーダー検索マガジンが入り口になっていたため、この2つのブログはライブドアのブログランキングでホリエモンとトップを争うほどの有名サイトにまで登り詰めました。
デイトレード、デイトレーダーを日本に生み出したのはサイトスコープであり、このブログが次編の「とれまが」につながり、サイトスコープ設立へと続いていきます。